窓際王

今は日本が貧しいので絶滅危惧種となっている窓際族。
その中で見た労働とは…?
今日は読者の皆さんと考えていきたいと思う。

1.散歩王
会社を意味もなく歩き回る王。
凡人の労働をただ眺めるだけ。
特に何かする訳でもなく、縦横無尽に階段を昇り降りして時間を潰すのが彼のライフワークである。

デスクワークなんて女子供のすることだ。
俺はそんな馴れ合いはしない。
レールが敷かれた人生なんてクソ喰らえだ。
俺が歩いたことろがレールになるんだ。
その男の目はそう語っていた
。(ガチンコ)

2.波乗り王
会社でネットサーフィンを楽しむ王。
周りが忙しくても将棋やヤフーニュースで主に政治系を閲覧する。
その姿、どこかで見覚えないだろうか…
そう、キメラアントの王メルエムである。

3.電話王
デスクに座って仕事をしている振りをして、どうでもいい電話をかける王。
基本的に社内の恋バナを好む。
とは言っても、電話の内容は周囲にダダ漏れのためカモフラージュは意味をなしていない。
また、新人が入るとイヤらしい目で見るクセがある。
ある程度の歳で他人の恋愛を語る者が行き着く先は男女ともに同じなのかもしれない。
即ち、彼のしていることは家事の合間に井戸端会議をしてウワサ話に花を咲かせるオバサンと特に変わらないのだ。

4.障がい者
3年契約の嘱託員。
年金を貰いつつ週4勤務の14万円ほどの給料をかっさらう神。
やはり、生まれつきに敵うものはない。
放浪、ネットサーフィン、睡眠で一日を潰す。
絵に書いたような不労所得を手にする神業は軽蔑と羨望の眼差しが向けられる。

この辺が王としての器があるもの達である。
結局、彼らは社内から孤立気味である。
周囲からの視線、圧倒的孤独に耐えることができる者でなければ王の素質はない。
ただ、労働をせずに給料をという結果を得る振る舞いは資本主義社会の中で王として認めざるを得ない。

最後の締めくくり
王にならなくてもいいから、ワークライフバランスを頭の片隅に置いて社会に出ないと一生誰かの養分。
自分が望むなら王になってもいいけど、奴隷にだけは絶対なるなということでブログ終了。

名古屋駅半径500m縛り飲み

名古屋駅に着くと同時にヨドバシカメラ横のサイゼリヤに直行。

イカスミスパゲティ、白ワインのデキャンタを注文しスタート。
この時、「愛知はサイゼリヤの本場!!」と無理にテンションを上げる。

食後、駅に戻りブラブラと先程とは反対出口の少し遠い鳥貴族に行く。お腹が張るようなら、土産物店を見て帰りに買うものを決めておく。

鳥貴族では知多のハイボールを注文。
「愛知で飲む知多は美味い!!」と無理にテンションを上げる。

実は、鳥貴族で1番ハイボールに合うのはプリンのような味をしたアイスクリームである。
お腹に余裕があるなら先にチーズコロッケも注文。

締めのラーメンを食べるため、また駅を通り春日亭に向かう。この向かいには濃厚な甘辛ダレで豚串を焼いてるお店がある。

飲み足りなかったら、ここの豚串と一緒にレモンサワーをガブ飲みする。
私はそこの豚串1本でレモンサワー2杯なくなりました。

酩酊状態になった後、春日亭で油そば(中)を注文、腹がパンパンでもう入らないと思っても絶対に完食する。

その後はヨドバシカメラ横の喫煙所で自分の一日を振り返りしっかり後悔する。
自分の愚かさを嘆くことで、今日行った贅沢がいかに度を過ぎたものだったかを実感する。

駅に戻り、電車に乗る。
そして、一宮付近で「あ、土産物買うの忘れた」と思い出す。

ここで、土産物を忘れるほど楽しい飲みができたんだとプラスに解釈する。

ここまでテンプレ。

東京住みのジジイババアが気持ち悪いという話

どーも、ウンウン乳首です。
アマギフ114514円の出資があったので、前回の続きを話したいと思います。

選挙において、高齢者が占める役割は大きいというのは高齢化が進む日本においてよく知られた話です。

高齢者は年金を守ってくれる政党や、社会保険を守ってくれる政党や個人に投票する生き物です。

さて、コロナウイルスに老人が感染すると重篤化するリスクが高いという話がありますね?

その上で、小池百合子は投票日前に東京から感染者を100人以上出しコロナの封じ込めに明らかに失敗していました。

それなのに、東京の高齢者たちは小池百合子に投票したのでしょうか?
普通、あそこまで失敗したら、高齢者の支持が下がり、当選しても前回より票が集まらなくなるのは当然の流れだと思うわけであります。

やはり、東京のジジイババアは早く死にたがってる異常者か、脳の代わりに馬糞を詰め込まれた肉人形、はたまた飯塚幸三。

都知事選について何が気持ち悪いのか?

小池百合子の顔が気持ち悪い

どーも、ウンウン乳首です。
えー、都知事選で桜井誠氏の投票数が大幅に伸びていたそうですね。これに関して、とあるニュースサイトで不気味だと表現されていましたが、本当に不気味なのでしょうか?

国内が混乱すると、自国ファーストの政党の票が伸びるのは普通なんですね。

顕著な例で言えば、ナチスなのですが別にナチスだけではありません。アメリカのトランプ大統領就任に関しても、ザックリ言えば、多数派である白人の自国の経済に対する不満や不信感からの要因が大きいでしょう。

さて、政治や社内に精通した学者の権威にサルトーリという人がいます。
彼いわく、国内が混乱すると既存政党が倒れ、分極的多数政党になるという大変よく知られた仮説があります。
これに基づくと、コロナ禍に見舞われた日本人が自国民ファーストを唱える政党に投票したがるのはとうぜんと言えるのではないでしょうか?

結局、1番気持ち悪いのは前回より票を集めた小池百合子が謎すぎて気持ち悪いんです。

サルトーリや政府のリーマーシップに関して詳しい話はDMでアマギフ114514円を出資して頂けるとしたいと思います。

それでは。

数ヶ月の動向についてまとめ

どうも、ウンウン乳首です。

漠然とした不安を感じTwitterを辞めたのですが、その間世の中では色々なことがありました。
特に印象深いことを言いたいと思います。

マクドナルドでは、侍バーガーというものが発売されましたね。
食べたかったのですが、マックに入ると情景反射的にビッグマックを注文するので食べる機会はありませんでした。

あと、プッチンプリンシェイクというものも発売されましたね。
あれも、マクドナルドに入ると情景反射的にコカ・コーラを飲むため飲むことは無かったです。

それから、チキンナゲットのソースにコーンポタージュ味とチェダーチーズ味が出たとか。
私はナゲットにはバーベキューソースと宗教上の都合で決まっているので、食べることは無かったです。

それから、最近では西田俊明さんがチキンタツタのCMをしていますね?
もう、皆さんお分かりですね?

だめだめだめ、太いシーチキンタツタがおまんこニャンちゅう!!(遺言)

目の前が真っ暗になって気付いたらDQNたちが倒れてたというアレ

どうも、ご無沙汰してます。
ウンウン乳首です。

今回は目の前が真っ暗になって気付いたら、DQNたちが倒れてたというアレについて話したいと思います。

話は例のごとく宮本武蔵から……

宮本武蔵は京都のとある名門の剣の道場に道場破りをしに行きました。そこは、先代が入れ替わったばかりで二代目の師範がおり、礼節はしっかりとし、また武道を習う者達にとって憧れの存在でもありました。
しかし、この二代目には致命的な弱点がありました。そう、稽古はでき、技を教えることができても、勝負となると先代に大きく劣るのです。

しかし、宮本武蔵というどこの野武士かも分からない男と戦うのを辞めたと言ったら、名門の名が廃ってしまうため嫌々ながら勝負をせざるを得なくなりました。

……結果、惨敗。
二代目はノイローゼになり、布団でゆっくりと"剣士として死んで"しまったのです。

二代目には、実は荒くれ者の弟がおり、こっちは喧嘩や実戦は強いものの、非常に無礼で傲慢な男で周囲からも嫌われていました。
しかし、長男が負けたとなっては話は別です。宮本武蔵を討ち取ろうと決闘を申し立てます。宮本武蔵としては、弟の仇討ちという大義名分を背負った戦いを断ってしまうのは無粋であるため、決闘をのみます。

しかし、正々堂々と戦っては負けるかもしれない……と考えた弟は命を奪うことを第一目標とし、道場にいる何人ものモノノフ達、また喧嘩に明け暮れているヤクザ者たちを連れて人目のつかない森で仇討ちを仕掛けました。

すると、宮本武蔵はここまで大勢で来られるとは思ってもなかったので、無意識のうちに、太刀と小刀(大小)を使って必死の抵抗をし、幾多のモノノフを打ち倒して命からがら森から脱出します。

この時、あまりに必死な状態であるため彼は"よく分からないうちに、体が大小を掴んで戦っていた"とのこと。

もう、お分かりですね?
目の前が真っ暗になって、知らないうちにDQNが倒れていたということは
自分でも予期しない事態から必死に身を守るために、体が無意識のうちに敵をねじ伏せるという《無心》の極地に至ったということ。

無心に至るオタクくん達がこんなに日本にいるということは、日本の武道というものもまだ廃れていない。

オタクくん強スギィ!!君は現代に生きる宮本武蔵だで!!ギャハハ!!

石火の機

『石火の機』

・石火とは何か?
石火とは火打石を打った時に出る一瞬の火花である。大事なことは"打つと同時に火が出るということ"。その現象には意思は介在しない。

つまり、火打石が「よし!火を出すぞ!」などと意気込むわけでもなく、打ち付けたら瞬時に火花を散らすそれだけである。

そこから、武芸者は『理』を見出した。

剣で相手を切る時に、心は相手の殺気や自身の安全などに執着するのではなく、電光石火の早業で仕留めるべし。

ここに『無心』がある。
何者にも気を取られず、自身の"反射"に近い動きで闘えば、相手の意表を突けるというものである。

歴史上の人物を例に挙げる。
柳生宗矩の剣の教え"二の太刀"がその典型である。一の太刀で相手を斬ったとしても、斬れなかったとしても無心のうちに"二の太刀、三ノ太刀"を相手に浴びせるべしと。

ここに、本当の"残心"がある。
現代の剣道では、相手から一本取った後でも剣を向けて相手を見据えることを指す。

しかし、真剣での"残心"というものは自分の剣が相手に当たったにせよ、確実に相手の命を奪わない限り自己の安全は守れない、そこで油断なく何発も斬撃を浴びせて確実に絶命させることに真の"残心"があるのだ。

"心"は相手を完全に絶命させた後に自分の中へ戻るのであって、勝負の間はありとあらゆる方向へ放たれ自身から離脱し、身は心を失い無心に至る。

・まとめ
剣が当たったという此方に有利な現象が起きてさえも気を抜かず、無心の電光石火の追撃で相手を仕留めるということが、柳生宗矩から見える『石火の機』の一端である。

・追記
沢庵坊は人を斬り終わった後でも、心は常に自然に放ち、一つのことに執着しない大切さを解いている。
このブログで、あえて心は自分の中へ戻ると書いているのは、吉川英治氏の『宮本武蔵』の内容を取り入れるためである。
その意図は『宮本武蔵』の書評で詳しく記述する。